東日本大震災から一年経ちました。
とても永い一年でした。
東京の息子宅へ行っていて地震に遭遇
孫たちとテーブルの下で
早く終わってくれ、早く終わってくれと祈っていたのを思い出します。
津波や原発のことが身近でなかったのが不思議なくらいです。
被災地の復興は一合目
民主党内の方針の対立や
野党の足の引っ張りによる遅れは目を覆うばかりですが
今なお一日七百万円の支援金が寄せられているといいます。
それでも資金が続かずボランテェアの団体がどんどん去っていっているとか。
なんとかうまく資金配分出来ないものなのでしょうか。
又復興の最大の障害になっている瓦礫の撤去が
各地の住民に拒否されて進んでいないようです。
わが子の健康を思う母親の心配は当然だと思いますが
過剰な反応はどんなものでしょうか。
沖縄に基地を押し付けて頬かむりしている愚行の
繰り返しにならないようにしたいものです。
震災について多くの方が感想を述べられています。
劇作家の山崎正和氏は
「無常観を抱えたままがんばるという積極的無常観
日本人特有の伝統が戻ってきたのではないか」と言っています。
私の気持ちにぴったりきたのは
京都大大学院教授の佐伯啓思さんの
「近代主義が他者として遠ざけようとした死が
実は生の後ろ側にぴたりと貼りついている。
そんな意味の空白地帯の存在を自覚することで
精神のあり方が変ってくるはずだ」
という言葉です。(反・幸福論)
そんな言葉を引用しなくとも
昔から弘法大師さまのありがたい言葉がありました。
いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせすん
手作りオーダー家具の林工亘